世界一くわしい革花の専門書

革花(かわはな・レザーフラワー)の作り方や染色・成形などの技術記録とあわせて、革花作家としてものづくりを続ける中で、生きづらさから少しずつ抜けていった心の変化や考え方を綴っています。心を整える視点や日々の気づきを、暮らしと制作の記録としてまとめたブログです。

このブログは、革花作家としてものづくりを続ける中で、私自身が生きづらさから少しずつ抜けていった 心の変化や気づきを記録しています。 革花の技術の話も心の話も、どちらも「生きること」の一部として綴っています。

※「世界一くわしい」とは、一人の作家が歩んできた過程と気づきを、 技術と心の両面から、できる限り丁寧に残しているという意味で使っています。

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“ガラクタ”と呼ばれても──悔しさが教えてくれた、作ることへの向き合い方

※この記事は「革花作家|販売と心の記録」シリーズの第3話です。

▼ 第2話はこちら

『突然訪れた絶望。働く場所を失った私に残された、“ものづくり”という選択肢』

レザークラフトを始めて1年弱。3日間イベント出展する機会が訪れた。

初めてのイベントでの苦い経験もあったけれど、少しでもレベルアップしたいと思っていた私たちは、決断するまでにそう時間はかからなかった。

自分自身が存在している意味を見つけたい。

兄と同じように、自分の手で作りだしたものを、誰かの手に届けたい。そんな思いでいっぱいだった。

初めてのイベントから数か月が経つ中で、そうして少しずつものづくりへの思いを募らせた。


連続3日間のイベントを決めてから、あっという間にその日は訪れた。

以前より多くの出展者が並ぶ中に、私たちのブースも並んでいた。

以前はなかった私が作った革のアクセサリーも、この時は兄の革小物と一緒に並べられ、それを見ているだけでなんだかとても嬉しくなった。肩書きも何もない私だったけれど、それでもよかった。

イベントが始まり、想像以上に多くのお客さまが来場してくださり、中には初めてのイベントで出会った人もいた。たくさん並んだ作品を見ながら「かわいい!」と喜ぶ声も聞こえてきて、少しの手ごたえを感じていた。

予想していたより次々と私が作った革アクセサリーは売れていった。巷にあまりないデザインを求めていた人たちにとって、新鮮に映ったようで、喜ばれたことが何より嬉しかった。

五角形の革パーツにワイヤーで作られた音符のパーツがついたアクセサリー

当時作っていたアクセサリーたち

そんな中、イベント2日目に予想だにしなかった出来事が起きた。

イベントを取材したいというテレビ局の人が、私たちのブースを撮影させてほしいと言ってきたのだ。革小物もアクセサリーも、まだまだ未熟なわたしたちの作品を目にかけてもらえるなんて思ってもいなくて、兄と二人でこっそり喜んだ。

取材後、他のブースの人たちにも羨ましがられ、ちょっとだけ浮かれていた私の目に、さっき取材してくれたレポーターの女性が、私の革アクセサリーを見に来てくれたのが見えた。

テレビ出演の時に着けてくれるのかな?なんて、小さな期待をしていたのだが…

そのレポーターの女性は、私のアクセサリーを手に取ったかと思うと、ポイっと投げ入れるようにかごに戻すのが見えた。

―えっ?

一瞬目を疑ったが、アクセサリーを見てはポイっとかごに戻し、また見てはポイっと戻すを繰り返していた。まるでゴミ箱にごみを入れるように。

ほんの少し前、期待した私がバカだった。

この人にとって、私のアクセサリーは“その程度”でしかなかったのだ。雑に扱ってもいい“モノ”。そんなふうに、私の目に映った。

どれだけ頑張って作ったとしても、自分が作ったものの価値が他人とイコールではないことを、このとき知った。

それからのことは、ショックだったこともあり、あまり覚えていない。この時の私は、作ることに一生懸命で、私の手から生み出されるものを大切に作りたいと思っていたから、尚更ダメージが大きかった。

イベント最終日、私たちのブースにあった作品は、だいぶ品薄になっていたが、心は昨日の出来事を引きずったままだった。

たくさんのお客さまが来場してくれたおかげで、あたふたしていて、一時嫌な感情を思い出すこともなかったのだが、お昼時になり、またもや私はショックを受けることになる。

イベントに訪れた年配の男性が、私に声をかけてきて「何を売ってるの?」と聞いてきたのだ。

私は、「手作りしたものを販売しているんですよ。」と答えたのだが、その人は「全部ガラクタだろう?」と言ってきたのだ。

今の私なら、この男性が「バザー」だと言いたかったのだろうと予想できるのだが、この時の私は、前日の出来事を引きずったままだったこともあり、あろうことか自分が販売しているものが“ガラクタ”だと言われたように受け取ってしまったのである。

嬉しいことが起きたかと思えば、次々とショッキングな出来事が起きてしまい、心が疲れ果ててしまった3日間。考えないようにしても、あまりにもショックが大きくて、何をするにもふと思い出しては悔し涙が出そうになるのをこらえていた。


後日、私はずっと考えていた。

―私が作ったものは、ごみのように扱われるものなのかな。

――ガラクタと言われるほど、人前に出してはいけないクオリティだったのかな。

「頑張って作ったものを、あんなふうに扱うなんて失礼!」
「私のアクセサリーをガラクタ呼ばわりするなんてひどい!!」
…そう思って、ただただ落ち込んでいた。
でも、あまりにも悔しくて。悔しくて…。気づいたら、考えが変わっていた。

 

―もう二度と、私が作ったものをあんなふうに扱えないくらい、丁寧に作る!

――絶対に“ガラクタ”なんて言わせない!

―――“作品”として大切に扱ってもらえるものを作る!!!

悔しさのあとに生まれた思いは、こうして、私をものづくりの世界へと導いたのだった。


革の小さなポーチと革のヘアゴムの画像

当時私が作っていた革小物や革アクセサリー

このイベントで、私が初めて作った革アクセサリーの売上は、約5千円程度。それまで看護師としてパートで働いていた時の1日分の給与とほぼ同額だった。

私の手から生まれたものが売れたことは嬉しかったのだが、反面、「たったこれだけ?」というがっかりした気持ちの方が大きかった。

ほんの500円~1000円のものを作るのに、デザインを考えるところから完成までの時間を考えると時給換算しても数十円のものもあった。

悔しい。とにかく悔しい。あれだけの努力が報われないなんて。

こんなに大変な思いをしてまでやることなのか?と一瞬頭をよぎったが、絶望的な過去を思い出すだけで、また同じことの繰り返しになりそうで怖かった。

続けていけばいつかは…なんて、そんな淡い期待はしなかったけれど、この時の私を動かしていたのは「悔しい」という感情だったことだけは間違いない。


当時の私は、心がまだまだ幼かった。

 育児もしていたし、それなりにさまざまな経験を積んできたと思っていたけれど、畑が違えば、当然ゼロスタートなのだ。  

それまで、

「仕事=雇われるもの」

「仕事をこなす“だけ“」

という認識が強かったのだと思う。  

率先して仕事をすることだって、経験とともに増えてはいたけれど、それでも、こうして全く違う場所に身を置けば、自分があまりにも無知で、世間知らずで、とても小さな世界でぬくぬくと生きていたんだと気づかされる。

 この時の私は、ものを販売することでしか収入が得られなかった。

3日間のイベントのために費やした時間は、数か月。それでも、売上は5千円程度。

その現実を突き付けられたときには、本当に泣きそうだった。  

今までの自分が、どれだけ社会に甘えて生きていたのか。

それだけ収入に対して、無頓着で、職場に頼り切っていたんだと、身をもって知った経験だった。    

「働くこと=生きるための収入を得ること。」

という認識しかなかった私に、新たな考え方が浮かんできたのは、この出来事がきっかけだった。  

―私が作ったものに価値がついたら、一体どこまで稼げるのだろうか。    

ここから、雇用される人から、少しずつ、自分で作って販売する人へと、考え方が変わっていったのだった。


私にとって、この経験は「悔しさから始まった、ものづくりの覚悟」の原点だった。

そして、これは今もどこかで働いている誰かへの、小さな問いかけでもある。

なんとなく働いて、毎月当たり前のように振り込まれるお給料。

それが、どれだけありがたいことか──
一度、立ち止まって考えてみてほしい。

そしてもし、
「このままじゃ嫌だ」
「環境を変えたい」
そんなふうに、心のどこかで思っているのなら──

大丈夫。
決めることさえできれば、人はいつだって、どこからでも始められるから。


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