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静かに過去を思い出すと、胸の奥が少し痛む。
あの頃の私は、作ることよりも「結果」を求めていた。
そうして気づけば──
私は、革花を8年間作り続けていくうちに、収益を最大の目標としてしまっていた。
革花を作りたいという純粋な思いは、心の片隅に置き去りにしたまま、収益を上げることがブランドの在り方だと勘違いしていた。
お客さまに求められているものを作らなければ、という思いのまま、大切に育ててきた革花を「売る為の道具」のようにしてしまっていた。
あるとき私は、「収益を2倍にする」という目標を掲げ、そのためにブランドを再構築し、更に求められるものにしようと必死になっていた。
その結果、3か月をかけて、収益を2倍以上にすることができた。
「やった!」と嬉しさがこみ上げたのはほんの一瞬のこと、その後すぐに「これからどうしよう」という大きな不安が襲ってきた。
それまで、制作から販売、発送などのすべてをひとりでこなしていた私には、「もうこれ以上はできない」と、どこかで糸が切れるような感覚になった。
「一人でできないなら、外注したらいいんじゃない?」とも考えたけれど、心がもうそちらに向かわず、どうしよう、どうしようと、なぜかその思いだけで頭がいっぱいになってしまった。
過去最大の収益を目標に走り続け、ようやく達成できたのに、「もうできない」「もうこれ以上頑張れない」という思いが日に日に増していった。
いくら生活のためとはいえ、私は今までと同じように全部をひとりでこなすことはできないし、新たに何かを生むことすら「一生懸命やらなければ」できなくなってしまっていた。
そこで初めて気が付いた。
私がやりたかったことは、収益を上げることじゃなかったということに。
真っ先に浮かんできたのは、お客さまに対して「申し訳ない」という思いだった。
純粋に革花を好きだと言ってくださったお客さまに対して、とても失礼なことをしてしまったかもしれないと。
革花を作り始めた当初の、あのワクワクした気持ちや、ステップを踏みながら成長することが楽しかった純粋な日々を思い出すと、自己嫌悪と、どうしてそうなってしまったのかと、道を間違えた自分を責め続けた。
それから2か月ほどが経ったある日、私はブログでそれまで一切見せなかった制作の裏側を書くことにした。
独学で作り続けてきた自分しか知らない世界を、誰かに見せることは、技術を盗まれるのではという恐怖もあったけれど、見せてもいいという思いがなぜか浮かんだ。
ブログを書いていくと、これまで自分がやってきた数年の経験を思い出し、こんなにいろんなことをできるようになったんだなという気持ちになった。
そして、「これまで、本当によく頑張ってきたね」と素直にそう思えた。
ブログを続けて書いていくうちに、革花の世界を誰かに知ってもらいたい、そして、興味があったら作ってほしいという思いが湧いてきた。
この時には、もうすでに「自分の技術を、たくさんの人に渡そう」と思っていたのかもしれない。
私はある時ふと「世界一くわしい革花の専門書」を作ろうと思い立った。
技術を盗まれるかもしれないという恐怖は、まだ少し残っていたけれど、たぶん、自分の中で革花を手放す準備をしようとしていたのだと思う。
それから、時間をかけてブログを書き、作り方を動画に残した。
8年間の私の集大成ともいえる「世界一くわしい革花の専門書」は、5か月間で8割ほどを完成させることができた。
あれだけ怖いと思っていた技術を渡すことも、この頃には「技術は盗まれない」「8年間の経験は私だけのものだ」という自信になっていた。
販売を辞めたいと思ってから、本当はすぐにでも辞めたいと思っていたけれど、これまでのキャリアを手放すことや収入面の不安、そして何より、これまで革花を愛してくださったお客さまのことを思うと、決断できずにいた。
悩み始めてから7か月。ようやく革花の販売をすべて辞めた。
辞めるまでには、本当に多くの感情を体験した。
自分が長年かけて作ってきたものを手放すことへの恐怖、せっかく作ってきたのにという執着、収入がなくなることへの恐れ、未来への不安など、それまでに味わったこともないような感情が毎日何度も押し寄せて、ただただ怖かった。
革花作家として生きた8年間が、私の中からなくなったような気がした。
私は、何者でもない「からっぽ」の、ただの人になった。
そこから、更に3か月間は、ブログを書き続けた。
これまで8年間で私が経験してきたことを、全部書き残そうという思いで。
独学で作ってきたことへのプライドが、それを邪魔していたけれど、過去に起きたこと、未熟だった自分がいたことは、もう変えられない。
格好つけようと思っても、過去は変えられないのだから、それならいっそのこと、過去を全部思い出して、その時に感じたことや考えたことをもう一度、追体験してみよう。
そしたら、私は、過去の自分がやってきたことを、丸ごと認めて、本当の意味で「よく頑張ったね。もう、頑張らなくていいよ。」と言ってあげられるんじゃないかと思った。
正直なところ、この3か月間が一番苦しかった。
過去の苦い経験を思い出すと、胸が苦しくて、涙が出た。
どうしてこうなっちゃったんだろう、どこで道を間違えたんだろうと思い出すたびに、胸が痛くて、自分の至らなさがこみあげて、過去を見るのが怖いとさえ感じたこともあった。
認めたくない自分、苦しかったこと、間違った道へ進んでしまったこと…
数えきれないくらいの出来事が、過去8年間に詰まっていたことを、このときようやく知った。
必死に頑張ってきた8年間を書き終わる頃、過去の出来事は、私の中でほぼすべてが消化され、心がとても軽くなっていた。
過去には感じたことがないほど、心が澄んでいて、穏やかで、透明になった。
そんな私に残ったものは、「本当は、どう生きたいの?」という自分自身への問いだけだった。
🎧 読むだけでは届ききらない部分を、声でゆっくりお話ししています。
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