ブログを書くことで過去を追体験し、心が“無”になった私に残ったのは、「どう生きたい?」という、たったひとつの問いだった。
けれど、すぐに答えは出なかった。

若いころから、ずっと「働く=体を動かして頑張ること」だと思い込んでいた私には、何もしない時間のほうが、むしろ苦痛で仕方がなかった。
自分が社会にとって何の価値もない気がして、休むのが本当に怖かった。
心の中のわだかまりが取れたはずなのに、それまでの思い込みはすぐには消えず、どうしても何かしようとしてしまう。
時には、自分に残された「革花の技術」を発信してみた。
でも、やっぱり何かが違うと感じてしまう。
今まで感じたことのない思い。
「革花を作るのはいいけれど、もう販売はしたくない」──その思いだけが、ずっと浮かんでは消えた。
私には、本当に革花しか残っていないのか。
革花でなければ、自分を表現することはできないのか。
でも…違う気がした。
私が向かいたい先は、革花ではないような気がしていた。
けれど、確信が持てないまま、何日も過ごした。
ずっとモヤモヤしたままで。
何もしない日が続いたある朝、なぜか外に出てみたくなった。
数年間ずっと自宅にこもっていた私の体は、鉛のように重かった。
歩いて、歩いて、たどり着いたのは見慣れた風景。
でも、その時だけは違った。
秋の風景が、目の前いっぱいに広がり、虫や鳥の鳴き声と、風が木々を揺らす音が、ひとつひとつ鮮明に聞こえた。
澄んだ空気を思い切り吸うと、体の奥から「生きている」という実感が湧いた。
その風景は、透明だった。
自然が好きだったのに、ずっと外にも出ず、一人でいたいと引きこもっていた数年間。
私の中で、“何か”が起きていたんだと思った。
その日を境に、私は早朝から歩くようになった。
毎朝、日の出を見て、雲の流れや風の音を五感で感じた。
鉛のように重かった体が、不思議と軽くなり、それと同時に、心が生き返っていくようだった。
そんな中でも、まだ「誰かの役に立てたら」と、革花の作り方を発信しようともがいていた。
それまでいろいろとやりつくしていたため、もっとできることがあるのではと思い、素材を探しに出た。
けれど、どこを探しても見つからなかった。
目的のものが見つからず、諦めて帰ろうかと思ったその時、以前から行ってみたいと思っていた「ある森」が、ふと浮かんだ。
今まで一人でどこかへ行くのが怖かった私が、その時だけは「行ってみよう」と思えた。
車の窓を全開にして、風を受けながら、久しぶりにワクワクした気分で森へ向かった。
森の入り口に差し掛かると、それまでとは違う澄んだ空気が私を包んだ。
奥へ進むほど、心が軽くなっていく。
どこにたどり着くんだろう?と、まるで冒険しているような気分だった。
到着したのは、森の奥にある広い芝生の公園。
誰もいない。
生活音もない。
自然の音しかない世界。
まるで、この世界に、たったひとりになったような気分。
でも、不思議と寂しさはなく、私も自然の一部になったような感覚になった。
自然の中を歩いていると、ふと「この気持ちを残しておきたい」と思った。
誰に向けるでもなく、ただ、自分のために。
その瞬間、言葉があふれるように口から出てきた。
過去のこと、間違った道に進んだこと、これからのこと──。
まるでもう一人の自分が語りかけるように、どんどん言葉が流れ出していった。
「そうか、私はそんなふうに思っていたんだ」。
語り終えた最後に出てきたのは、「誰かに話したかった」という言葉。
途端に、胸の奥に詰まっていた大きな塊が全部ほどけていくようで、心がまっさらに、透明になった。
心にあったモヤモヤやわだかまりが、私の足から大地へ伝って、すべて吸い取られていくようだった。
歩くたびに、体が軽くなり、まるで宙に浮いているような感覚を味わった。
それからというもの、毎朝歩き続けた。
自然の中に行くと、すべてがリセットされて、一日を通して心が凪のように穏やかでいられた。
何日も歩いているうちに、子どもの頃の記憶が少しずつ蘇ってきた。
田舎で育った私の遊び場は、いつも自然の中だった。
ただ川の流れを見たり、毎日のように木登りをして夕陽を眺めた。
夕焼け空が真っ赤だったこと、風のにおいで季節を感じていたこと。
あたり一面、黄色い絨毯のように揺れる稲穂の風景。
あの頃の私は、何者でもなく、ただ“生きている”だけだった。
誰にも邪魔されない世界で、自然の中に生きていた。
そこには、誰からの評価もなく、どんな自分でも許される世界があった。
…はずなのに。
私は、いつから、自分を見失ってしまったのだろう。
静かに、でも確実に、「本当の自分に戻る道」が始まっていた。
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