作家として活動していく中で、ずっと心に決めてきたことがある。
それは、
「中身のない作家には、絶対にならない」
ということだった。
作家という言葉は、どこか響きがよくて、ちょっと格好よく聞こえるかもしれない。
でも私にとってそれは、ただ名乗ればなれるような軽いものではなかった。
むしろ、最初は自分がそんなふうに名乗ること自体が怖かった。
私は「ハンドメイド作家=職人」だと思っていたから、世界中の職人さんたちに対して失礼ではないかとさえ思っていた。自信がなかったのだ。
じゃあ、その自信のなさはどこから来たのか?
自分に問いかけたとき、出てきたのは「経験」という言葉だった。
経験がないまま、表面的に作っているだけでは、私はきっと「本物」になれない。
そう思っていた。
私が作っている革花は、始めた当初、公に作り方が出回っていないジャンルだった。
誰もやっていない。参考にできる人もいない。
だからこそ、私はゼロから作るしかなかった。
つまみ細工や、樹脂の花をヒントにしようとしてみたこともある。
けれど素材が違えば、やり方も意味も変わってくる。
「なぜこの工程が必要なのか?」
「この方法じゃなきゃダメなのは、どうして?」
そんな問いに、誰も答えてはくれなかったから、すべて自分で考え、探し、試していくしかなかった。
毎日が、答えのない旅のようだった。
今日こそは…と思って挑戦しては、うまくいかない。
一歩進んでは二歩戻る。
それでも、自分の中で納得できる理由を見つけたくて、考えて、やってみて、また考える。
そんな日々を、何年も繰り返してきた。
気づいたことがある。
試行錯誤こそが、私を作家として育ててくれたのだ。
誰かに教われば、作り方だけなら簡単に覚えられる。
でも、どうしてそうするのか?と聞かれても、自分の中に経験がなければ、「そう教わったから」としか答えられない。
理由を持ってものを作る。
そのためには、「知っている」だけじゃ足りない。
「分かる」ようになって、はじめて「できる」に変わっていく。
それが、本当に自分のものになったときなのだと思う。
私にとって革花は、ただ作れるようになったからやっているのではない。
何百回と失敗して、それでも考え続けて、ようやく「だからこの方法だったんだ」と
自分の中にストンと落ちる瞬間を繰り返してきた。
それが、今の自信につながっている。
もちろん、誰にでもできることではないし、誰にでも必要な技術でもないかもしれない。
でも、私はその経験を経て、ようやく胸を張って言えるようになった。
“私は、革花作家です。”…と。
作家という仮面をかぶるだけなら、誰でもできる。
でも私は、「なぜそうするのか」を答えられる作家でありたい。
自分の言葉で語れるだけの背景と、積み重ねた経験を持っていたい。
気づけば、革花作家として活動して9年目になっていた。
最初に立てた目標は「10年続けること」。
その日が、少しずつ近づいてきている。
「ものづくりで生きる」とは、見せかけではなく、
理由のある手しごとを積み重ねること。
私は、これからも、そうやって生きていきたい。
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