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生きづらさの正体|人の目が気になってしまう時に心が少し軽くなる考え方

紅葉したもみじの葉っぱ

今日は、昔の私が感じていた「生きづらさ」について書きました。
少し重たい話かもしれませんが、最後には心がふっと軽くなるような、今の私が大切にしている考え方も書いています。


私は、幼いころから生きづらさを感じていました。

それは、もしかしたら育った環境にもよるのかもしれません。

私が育ったのは、大自然に囲まれた田舎町。地域の人との距離が近かった分、みんながみんなのことを何でも知っている環境でした。

――

どこの〇〇さんが、こんなことをしていた。

〇〇ちゃんは、どこの高校に行った。

〇〇くんは、頭が良くて優等生。

〇〇くんが、学校で問題を起こしたらしい。

――

…など、とにかく何かあれば、地域の人たちに全部筒抜けになってしまうような環境にいました。

私は、子どものころから、あまり自分の話をしたくない性格だったこともあり、そういう噂話や、他人の家庭の事情にズカズカと入り込むような話を聞くのが本当に嫌でした。

友達と出かけるときには、親から「変なことはしないように」と毎回のようにくぎを刺されたり、ちょっと帰宅が遅くなると「噂になるようなことはしていないか」と聞かれたり。

そんな環境にいたためか、早くから、人の目ばかりを気にするようになりました。

他にも、同級生がテストでいい点数を取ったとか、〇〇高校から推薦が来たとか、田舎町ではそういう話が持ちきり。

とにかく、常に誰かと比較されるような環境にいたことで、益々私は、周りの人と距離を取るようになりました。

 

学校に行くようになってからは、みんなと同じことをして、みんなと同じ考えであることが正解のような環境でした。

子どもながらに変だなと思ったことは、道徳の授業で、「この人の気持ちを考えてみよう」と問われたとき、私が考えた答えに対して、先生が「そうかなぁ?」と言ったこと。

「道徳の授業では、答えはありません。」と言った矢先のその出来事に、何が正解なんだろう?と考え込んでしまったこともありました。

中学生になり、私はテニス部に入部したのですが、「お前は勝つ気がないのか!」と顧問の先生に叱責されたこともありました。

ただ、テニスが好きだったから入部しただけで、「勝ちたい」と思ったことはありませんでした。けれど、部活は「勝つため」にやるんだと言われた途端に、やる気がなくなってしまって、何をどう頑張ったらいいのか分からなくなってしまいました。

 

「環境が悪い」と、誰かのせいにするつもりはないけれど、自分自身が思うままに生きたいと思っても、なかなかそうさせてもらえない理由の一つに、環境ってあると思うんです。

今の時代になって、「個性」だとか「自由に」と言われるようになったことで、昔に比べたら随分と生きやすい環境になったと思うけれど、それでもまだ、それを許さない場面って結構あるなと感じています。

テレビやSNSを見れば、どこを見てもきれいで、かっこよくて、みんなが成功しているように見える。

それが表向きのほんの一部の情報だとしても、どうしても自分と比べて、劣等感を持ったり、落ち込んだりすることもありました。

 

生きづらさって、そう考えると、無限に出てくる気がします。

そういうときに思うのは、もうキリがないな~っていうことです。

ひとつ気になると、無限にキリがなくて、しかも終わりがありません。

 

そう思ってから、私は、周りとの距離感に気をつけるようにしました。

本当に親しい人以外の人とは、つかず離れずの距離感で、馴れ合わないようにしたんです。

そうすると、周りの人の噂話も聞くことがないし、たとえ自分のことを言われていたとしても、まず耳に入らないから、気にならなくなりました。

 

あと、私の考え方をガラッと変えてくれた親しいママ友の言葉からも、気にしなくなるためのヒントがありました。

「私は、この人に好かれなくてもいいや。」という言葉です。

一見、投げやりな言葉に聞こえるかもしれませんが、私にとっては「たしかに!」と思った言葉でした。

 

若いころの私は、周りの人から良く思われようとするあまりに、「好かれるための努力」をしていました。

自分自身が、あまり好きじゃない人や、一緒にいて疲れる人に対しても、がんばって好かれようとしていたんですね。

でも、そうしていたら、いつも以上にものすごく疲れるし、何より、好かれようとして好かれたのに、更にいっしょにいる時間が増えてしまって、もっと疲れてしまうという負のループに入ってしまったこともありました。

そう思うと、がんばって好かれようとすることって、無駄な努力でしかないなと。

ママ友が言った「私は、この人に好かれなくてもいいや。」という言葉の裏側には、こういう真実があることを知って、そこからはとにかく無理をしないことも大切だと学びました。

 

私の中にある考え方や価値観、大切にしているものを思うと、周りの人とは違って当たり前=自分と違うことが前提になりますよね。

だとすると、すべてが同じなのが不自然な気さえしてくるんです。

みんなちがって、みんないい。

そんな考え方を持つと、「違うことが前提」だからこそ、そういう考え方もあるんだな、面白いなと思えるようになりました。

面白いのはそこからで、周りの人の考え方が面白いと思えると、なんだか、自分自身も違ってていいんだと自分を肯定できるようになって、とても心が楽になります。

 

周りの目が気になってしまう日も、比べてしまう日もあっていいと思います。

でも、「みんなちがって、みんないい」という視点に触れられたとき、少しだけ、心が軽くなるような感覚がありました。

生きづらさは、なくすことができなくても、気づいてあげるだけで、少し軽くなるのかもしれません。

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