
子育てをしていると、自己嫌悪や、優しくしたいのにできないという葛藤を抱えることがあります。
私も、長いあいだ、そんな気持ちの中で子育てをしてきました。
「子育てをやり直したい」
そう思っていた私に起きた出来事は、心の在り方や、生き方そのものを見直すきっかけになりました。
- 私は、厳しい母親だった
- 優しくしたかったのに、できなかった日々
- 子育てをやり直したいと思うようになった理由
- そのあとに起きた、不登校という出来事
- もう一度、子育てをやり直すつもりで
- 子どもの姿に重なった、昔の自分
- 向き合った時間が、私に教えてくれたこと
- 自分の内側と向き合うということ
私は、厳しい母親だった
若かりし頃の私は、自分にとても厳しい人間でした。
それには理由があります。
私の両親は離婚していて、母は女手一つで、懸命に私たちを育ててくれました。
もし私が出来損ないだったら、
「どういう親に育てられたんだ」と、母が責められてしまうのではないか。
そんな怖さが、いつも心のどこかにあったのです。
その考え方のまま、私は結婚し、子どもを育てるようになりました。
自分に厳しかったのと同じように、子どもたちにも、とても厳しく接していたと思います。
子どもは、いたずらをしながら学ぶものだと頭では分かっているのに、どうしても怒ってしまう。
何か悪いことをするのではないかと、疑いの目で見てしまう。
今振り返ると、いつも緊張しながら子育てをしていたように思います。
優しくしたかったのに、できなかった日々
子育ては、もっと楽しいものだと思っていました。
けれど現実は、毎日何かしら怒っている自分がいて、そのたびに、一日に何度も自分を責めていました。
どうして、もっと優しくできなかったんだろう。
また、厳しく言いすぎてしまった。
あんな言い方をしなくてもよかったのに。
そんなふうに思い返しては、自分が嫌でたまらなくなりました。
周りの優しいお母さんたちを見るたびに、自分は出来損ないで、母親失格なのではないか。
そんな気持ちにさえなって、とても苦しい日々でした。
子育てをやり直したいと思うようになった理由
そんな時間が何年も続いたある頃から、私は「子育てをやり直したい」と思うようになりました。
上の子が小学生になり、少しずつ手を離れはじめた頃のことです。
お店で、幼い子どもを厳しく叱るお母さんの姿を、目にすることが増えました。
「騒がないで」
「静かにできないなら、もう連れてこないよ」
その光景を見て、自分も、子どもが小さかった頃に同じことを言っていたなと、胸がぎゅっと苦しくなったのです。
叱られたあとの子どもの表情を見るたびに、過去の自分の姿が重なって見えて、自分の子育ては間違っていたのではないかと、突きつけられたような気持ちになりました。
やり直せるはずがないことは、分かっていました。
それでも、
「もう一度、子どもが赤ちゃんだった頃に戻って、子育てをやり直したい」
そんな思いが、心の奥に残り続けていました。
そのあとに起きた、不登校という出来事
それから二年ほど経ったある日、子どもが突然「学校に行けない」と言い出しました。
理由を聞いても、「分からない。でも、行けない」と。
それまで楽しそうに通っていたので、私はただ驚くばかりでした。
その後、体調も崩しはじめ、学校を休みがちになっていきました。

もう一度、子育てをやり直すつもりで
子どもの機嫌を取ったり、「無理に行かなくてもいいよ」と伝えたり、できることは、いろいろ試しました。
けれど、何をしても、状況は大きく変わりませんでした。
そんな中で、私と二人きりで過ごす時間だけは、とても安心した表情を見せることに気づきました。
そのとき、
「もし、子育てをやり直せるなら…」
そう願っていた自分の気持ちを、ふと思い出したのです。
一瞬、「そんな思いが心のどこかにあったから、今の出来事につながったのだろうか」
そんな考えがよぎったこともありました。
もちろん、答えは分かりません。
ただ私は、もう一度、子育てと向き合う時間をもらったのだと感じました。
それから、
「今からでもできることを、全部やろう」
そう決めました。
子どもが小さかった頃、できなかったこと。
十分に注げなかった愛情。
一緒にいるときは、そばを離れず、抱きしめて、頭をなでて、
「大好きだよ」と何度も伝えました。
最初は、こんなに大きくなってから抱っこすることに、少し戸惑いもありました。
それでも、今できることを大切にしようと、覚悟を決めました。
子どもの姿に重なった、昔の自分
とても長い時間をかけて、少しずつ状況は落ち着いていき、今では、楽しそうに学校に通えるようになりました。
一緒に過ごす中で、私の心に浮かんだのは、
「私も、子どものころ、こうしてほしかったのかもしれない」という思いでした。
兄弟が多く、いつも忙しそうにしていた母を見て、
「心配をかけないように」と、私は小さい頃から我慢することを覚えました。
その結果、自分に厳しくなるしかなかったのだと思います。
本当は、思いきり甘えたかったはずなのに。
子どもの姿が、昔の自分と重なって見えたのは、きっとそのせいだったのだと、今では思います。
向き合った時間が、私に教えてくれたこと
幼かった子どもに、厳しくしてしまった過去は、もう変えられません。
子どもにとって、苦しい経験だったことも、変えられません。
それでも、私が願った「もう一度、子育てをやり直したい」という思いは、ある意味、叶ったのだと思っています。
子どもが学校に通えるようになってから、私は、きちんと向き合って謝りました。
「小さいころ、厳しくしてしまってごめんね」
「ママが未熟だったから、つらい思いをさせてしまったね」
「これからは、もっと大切にするからね」
「元気になってくれて、本当にありがとう。愛してるよ」
真剣に、言葉にしました。

自分の内側と向き合うということ
子どもと向き合った時間は、苦しいこともたくさんありました。
けれどそれは、自分の内側と向き合うことが、怖かっただけなのかもしれません。
この出来事をきっかけに、私は初めて、
「自分と向き合うとはどういうことなのか」を、本気で考えるようになりました。
もし今、子どもやパートナー、家族との関係で心が苦しくなっている人がいたとしたら。
それは、自分自身と向き合うタイミングなのかもしれません。
私にとっては、この時間が、その始まりでした。
この記事を書きながら、私は「自分の内側と向き合う」ということについて、あらためて考えていました。
子育てや人間関係の中で心が苦しくなるとき、私が大切にしてきた「心を整える視点」を、別の記事にまとめています。
今のタイミングで、もし必要だと感じたら、のぞいてみてください。
▶ 心を整えるということ