世界一くわしい革花の専門書

革花(かわはな・レザーフラワー)の作り方や染色・成形などの技術記録とあわせて、革花作家としてものづくりを続ける中で、生きづらさから少しずつ抜けていった心の変化や考え方を綴っています。心を整える視点や日々の気づきを、暮らしと制作の記録としてまとめたブログです。

このブログは、革花作家としてものづくりを続ける中で、私自身が生きづらさから少しずつ抜けていった 心の変化や気づきを記録しています。 革花の技術の話も心の話も、どちらも「生きること」の一部として綴っています。

※「世界一くわしい」とは、一人の作家が歩んできた過程と気づきを、 技術と心の両面から、できる限り丁寧に残しているという意味で使っています。

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子育てをやり直したいと感じていた私に起きたこと|育児の葛藤と自己嫌悪

大人が子供をおんぶしている画像。昔を思い出させる景色

 

子育てをしていると、自己嫌悪や、優しくしたいのにできないという葛藤を抱えることがあります。

私も、長いあいだ、そんな気持ちの中で子育てをしてきました。

「子育てをやり直したい」
そう思っていた私に起きた出来事は、心の在り方や、生き方そのものを見直すきっかけになりました。

私は、厳しい母親だった

若かりし頃の私は、自分にとても厳しい人間でした。

それには理由があります。
私の両親は離婚していて、母は女手一つで、懸命に私たちを育ててくれました。

もし私が出来損ないだったら、
「どういう親に育てられたんだ」と、母が責められてしまうのではないか。
そんな怖さが、いつも心のどこかにあったのです。

その考え方のまま、私は結婚し、子どもを育てるようになりました。

自分に厳しかったのと同じように、子どもたちにも、とても厳しく接していたと思います。

子どもは、いたずらをしながら学ぶものだと頭では分かっているのに、どうしても怒ってしまう。
何か悪いことをするのではないかと、疑いの目で見てしまう。

今振り返ると、いつも緊張しながら子育てをしていたように思います。

優しくしたかったのに、できなかった日々

子育ては、もっと楽しいものだと思っていました。

けれど現実は、毎日何かしら怒っている自分がいて、そのたびに、一日に何度も自分を責めていました。

どうして、もっと優しくできなかったんだろう。
また、厳しく言いすぎてしまった。
あんな言い方をしなくてもよかったのに。

そんなふうに思い返しては、自分が嫌でたまらなくなりました。

周りの優しいお母さんたちを見るたびに、自分は出来損ないで、母親失格なのではないか。
そんな気持ちにさえなって、とても苦しい日々でした。

子育てをやり直したいと思うようになった理由

そんな時間が何年も続いたある頃から、私は「子育てをやり直したい」と思うようになりました。

上の子が小学生になり、少しずつ手を離れはじめた頃のことです。

お店で、幼い子どもを厳しく叱るお母さんの姿を、目にすることが増えました。

「騒がないで」
「静かにできないなら、もう連れてこないよ」

その光景を見て、自分も、子どもが小さかった頃に同じことを言っていたなと、胸がぎゅっと苦しくなったのです。

叱られたあとの子どもの表情を見るたびに、過去の自分の姿が重なって見えて、自分の子育ては間違っていたのではないかと、突きつけられたような気持ちになりました。

やり直せるはずがないことは、分かっていました。
それでも、

「もう一度、子どもが赤ちゃんだった頃に戻って、子育てをやり直したい」

そんな思いが、心の奥に残り続けていました。

そのあとに起きた、不登校という出来事

それから二年ほど経ったある日、子どもが突然「学校に行けない」と言い出しました。

理由を聞いても、「分からない。でも、行けない」と。

それまで楽しそうに通っていたので、私はただ驚くばかりでした。

その後、体調も崩しはじめ、学校を休みがちになっていきました。

大人の手に、赤ちゃんの小さな手を重ねた画像。

もう一度、子育てをやり直すつもりで

子どもの機嫌を取ったり、「無理に行かなくてもいいよ」と伝えたり、できることは、いろいろ試しました。

けれど、何をしても、状況は大きく変わりませんでした。

そんな中で、私と二人きりで過ごす時間だけは、とても安心した表情を見せることに気づきました。

そのとき、
「もし、子育てをやり直せるなら…」
そう願っていた自分の気持ちを、ふと思い出したのです。

一瞬、「そんな思いが心のどこかにあったから、今の出来事につながったのだろうか」
そんな考えがよぎったこともありました。

もちろん、答えは分かりません。

ただ私は、もう一度、子育てと向き合う時間をもらったのだと感じました。

それから、
「今からでもできることを、全部やろう」
そう決めました。

子どもが小さかった頃、できなかったこと。
十分に注げなかった愛情。

一緒にいるときは、そばを離れず、抱きしめて、頭をなでて、
「大好きだよ」と何度も伝えました。

最初は、こんなに大きくなってから抱っこすることに、少し戸惑いもありました。

それでも、今できることを大切にしようと、覚悟を決めました。

子どもの姿に重なった、昔の自分

とても長い時間をかけて、少しずつ状況は落ち着いていき、今では、楽しそうに学校に通えるようになりました。

一緒に過ごす中で、私の心に浮かんだのは、

「私も、子どものころ、こうしてほしかったのかもしれない」という思いでした。

兄弟が多く、いつも忙しそうにしていた母を見て、
「心配をかけないように」と、私は小さい頃から我慢することを覚えました。

その結果、自分に厳しくなるしかなかったのだと思います。

本当は、思いきり甘えたかったはずなのに。

子どもの姿が、昔の自分と重なって見えたのは、きっとそのせいだったのだと、今では思います。

向き合った時間が、私に教えてくれたこと

幼かった子どもに、厳しくしてしまった過去は、もう変えられません。

子どもにとって、苦しい経験だったことも、変えられません。

それでも、私が願った「もう一度、子育てをやり直したい」という思いは、ある意味、叶ったのだと思っています。

子どもが学校に通えるようになってから、私は、きちんと向き合って謝りました。

「小さいころ、厳しくしてしまってごめんね」
「ママが未熟だったから、つらい思いをさせてしまったね」
「これからは、もっと大切にするからね」
「元気になってくれて、本当にありがとう。愛してるよ」

真剣に、言葉にしました。

赤ちゃんと男性が、おでこをくっつけて抱っこしている画像

自分の内側と向き合うということ

子どもと向き合った時間は、苦しいこともたくさんありました。

けれどそれは、自分の内側と向き合うことが、怖かっただけなのかもしれません。

この出来事をきっかけに、私は初めて、
「自分と向き合うとはどういうことなのか」を、本気で考えるようになりました。

もし今、子どもやパートナー、家族との関係で心が苦しくなっている人がいたとしたら。

それは、自分自身と向き合うタイミングなのかもしれません。

私にとっては、この時間が、その始まりでした。


この記事を書きながら、私は「自分の内側と向き合う」ということについて、あらためて考えていました。

子育てや人間関係の中で心が苦しくなるとき、私が大切にしてきた「心を整える視点」を、別の記事にまとめています。

今のタイミングで、もし必要だと感じたら、のぞいてみてください。

▶ 心を整えるということ



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