
お金って、何だろう。
ものづくりを仕事にしてから、私はこの問いを何度も自分に投げかけてきた。
売上が思うように上がらず、「革花をやめたほうがいいんじゃないか」と悩んだ日も、一度や二度ではなかった。
世間では「売上を伸ばすことこそが正義」だというような空気もある。
だけど、それが本当に正しいのかどうか、私はずっと分からずにいた。
お金を稼いだら、人は本当に幸せになるのか?
その問いに対する、私の答えははっきりしている。NOだ。
「やり方が悪いだけ」「方法を知らないからだ」──そんな言葉も耳にしたし、自分でもそう思おうとしたことがある。
けれど私は、それでもやっぱり、本質的な部分で違うと感じてしまうのだ。
これは、ハンドメイドを続ける誰もが一度はぶつかる問いではないだろうか。
- 革花との出会いと、仕事として歩み始めた日々
- 売上は上がったのに、心が離れていく感覚
- 情報商材に手を出して気づいた、空っぽな世界
- 「経験なき成功」が語るノウハウへの違和感
- お金は“ありがとう”のかたち──私の働く意味
革花との出会いと、仕事として歩み始めた日々
私は2017年、突然仕事を辞めざるを得ない状況になった。
資格を生かして働きたくても、見つかるのはブラック企業ばかりだった。人生の中でも、何が起こっているのか分からないほどの絶望を味わっていた。
そんな私を見かねて、兄が「一緒にレザークラフトをやらないか」と声をかけてくれた。最初は気分転換のつもりだったが、気づけば、ものづくりの世界に夢中になっていた。
そこから自然と、革花を仕事にしようと思うようになった。
けれど私は、技術も知識も売り方も、何も知らない状態だった。世間の人の何倍も苦労したと、自分でも思っている。
レザークラフトを始めてから、正社員の給料と同じくらい稼げるようになるまでに、3〜4年かかった。かなりの遠回りだった。
「それなら、早く仕事を探せばよかったのでは?」と言われれば、それまでだ。
でも私にとって「雇用されること」は、自由を奪われ、心をすり減らすものだった。もうあの世界には戻りたくなかった。ただ、それだけだ。
革花を仕事にして家計を支えられるようになったとき、売上が上がれば将来への備えもできると考えるようになった。
作品のクオリティを上げ、付加価値をつけ、価格を上げていくことにした。幸い、リピートしてくださるお客さまもいて、作品への満足度とともに売上も上がっていった。
やればやっただけ数字になることに、有難さを感じていた。
けれど同時に、「このまま、どこまで続けていくのだろう」と、心のどこかで問い始めていた。
売上は上がったのに、心が離れていく感覚
売上が上がるのは嬉しかった。けれど、作ることの満足よりも「売上を上げること」自体が目標になっていた時点で、少しずつズレが生じ始めていた。
あれこれと多くの種類を扱い、色やデザインにもこだわっていたため、毎日朝から晩まで何かに追われる日々が続いた。休日も取れず、働き詰めの毎日だった。
こうなることは、ネットの情報にも書かれていたので、なんとなく予想はしていた。だが、実際に経験してみると、売上が上がっても身体も心も追いつかない。
やがて体に不調が現れ、当たり前に働くことができなくなった。
収入が増えても、素直に喜べない自分がいたことに、さらに違和感を覚えた。
革花一つひとつに向き合うというより、ただ数をこなしているだけのような感覚に陥り、自分がロボットのように思えた。
「私が願っていた未来は、本当にこれだったのか」──そう思うほど、理想と現実のギャップに戸惑っていた。
きっとこれを読んだ人の中には、「それなら雇用して持続可能な形にすればいい」とか「外注すればいい」という意見を持つ人もいるだろう。
けれど、私が作っていた革花は、誰からも作り方を教わっていない、非常にニッチな表現だった。クオリティをすぐに上げられるような簡単なものではない。外注すれば効率は上がるかもしれないが、人材育成には膨大な時間がかかる。
私が自分でゼロから考えて作ってきたような精度と表現力を、他者に求めるのは難しかった。だからこそ、「どう続けるべきか」と悩み続けていた。
最終的に、私は「販売」ではなく、「伝えること」へと軸を移すことを選んだ。
振り返れば、あの数年間は本当に濃密だった。雇用されていた頃には一度も考えたことのない問いを、自分に何度も投げかけていた。
比較されることの苦しさ、努力が数字に現れない焦り、未来が見えない不安──どれも人生の壁のように重く立ちはだかっていた。だが、それでも私は得たと思っている。
そのすべての経験こそが、私にとって最大の財産だった。
ものづくりを通して手に入れたのは、技術やノウハウだけではない。
誰にも頼らず、自分の力で壁を越えてきた「心の成長」こそが、何よりも大きな学びだった。
自分と向き合うこと。すべては自己責任だと受け入れること。お客さまへの誠実さ。ものづくりへの愛情。
たくさんの感情を知り、たくさんの気づきを得た。自分の中にある情熱、価値観、大切にしたいもの──そうしたすべてが見えるようになって、時には自己嫌悪に陥ることもあった。
それでもなお、経験したすべてが今の私を形作ってくれたと思える。だからこそ、今はただ感謝の気持ちしかない。
今、私が強く願っているのは、「売上至上主義」が当然という空気に染まってほしくないということだ。
SNSやネットの世界では、「仕事=大金を稼ぐこと」といった表現が当たり前のように流れている。そのことに私は強い違和感を覚えている。
稼ぐために情報を売ること自体は、決して悪いことではない。だが、「情報さえ知れば、お金は簡単に手に入る」と思わせる社会には、大きな問題があると私は感じている。
情報商材に手を出して気づいた、空っぽな世界
実は、以前、売上を安定させたいという思いから、情報を買ったことがある。数万円の情報商材だった。
【ハンドメイドを始めて、たった2か月で20万円売り上げた方法で安定させる】という謳い文句。
その時の私は、すでにそれ以上の売上を上げていたのだが、売上を上げる前に、まず安定させたいと思っていた。
だからこそ、そういう甘い言葉に、ついお金を出してしまったのだ。
その商材には、どこにでもあるマーケティングを“どこにもない情報"だと言い、無料で出している情報に対して大々的に「超有料級!」と言っていた。
当時私はインターネット販売を始めてから4年ほど経っていたのだが、内容を見て愕然とした。どこにでも転がっているような情報だったからだ。
私は、誰にも教わらずに、試行錯誤を重ねながら販売を続けてきた。
だからこそ、その商材に書かれていたことの多くは、すでに自分の中で経験として身についていた内容だった。
「これから仕組み化していこう」という段階にいた私にとって、それは目新しさのない、薄っぺらい情報に思えた。
驚いたのは、それだけではない。
販売していた人が作った動画の中で、こうしたら、こうなるよね、これが必要だよね…という話をしていたのだが、ただ書いている内容を読んでいるだけ。
経験している人ならたどり着くであろう“核心”でさえも、説明できないまま、さらっと説明して「大事なお話をしました」と言って動画は終わった。
「経験なき成功」が語るノウハウへの違和感
そこで、私は気づいた。
――経験していない人が、情報だけを握ったときに起きるのが、こういうことなのだ、と。
誰かに教わったノウハウを、ただ実践しただけで売上を上げた。
その事実だけで、今度はそのノウハウを人に売って、収入を得ている。
私がこれまで経験してきた時間の中に詰まった試行錯誤とは、まるで比べものにならないほど、うわべだけの、薄っぺらい情報だった。
数万円を支払って得た内容には、学びらしいものが何ひとつなく、私にとっては、人生で一番後悔したお金の使い方だった。
答えを求めた先にあったのは、「単なる情報」だった。
それが、私がそのとき得た唯一の学びだった。
私が心底がっかりしたのは、金額の問題ではない。
経験のない人が、さも多くの経験を積んできたかのように、「成功」や「お金」を語っていたことだ。
答えだけを知って、簡単に収入を得て、それを「実績」だと胸を張っていたことに、深く失望したのだ。
例えるなら、数学の問題を見て、答えだけを覚えているのと同じことだ。
本来なら答えに至るまでのプロセスこそが大切なのに、それを飛ばして、カンニングしているのと変わらない。
中身がまっさらなノートのまま、「教えて」と言われても、その人には何も教えられないのだ。
経験なくして、ノウハウを語るな。
正直、そう思って腹が立った。
それは、お客さまの立場を考えることもなく、自分の利益さえ得られればそれでいいという、あまりにも自分本位な稼ぎ方ではないかと思った。
もちろん、そんな情報を買った私が悪いと言われれば、それまでのことだ。
けれど、私はこう思う。
そんなふうにして手にしたお金には、魂が宿っていない。中身のない紙切れと同じだ。
そんなものには、いつか必ず終わりが来る。
仕事の本質は、やりがいがあるからこそ成り立つ。
だからこそ、得られるお金に対して感謝が生まれるのだ。
お金は“ありがとう”のかたち──私の働く意味
想いのこもっていないものは、見ればすぐに分かる。
どれだけうまく見せかけようとしても、嘘で塗り固められた人は、いずれ見抜かれる。
本質を知らない人の言葉には、重みがない。どれだけ取り繕っても、その軽さは隠せない。だませていると思っているのは、たいてい本人だけで、経験を積んだ人には必ず見抜かれてしまう。
少しでも「楽に稼げる方法」に心が揺れそうになったときこそ、立ち止まってほしい。
目先の利益に飛びついた先に、本当の満足や感謝があるだろうか?
私は、そう問いかけたい。
だからこそ、私はお金に対して誠実でありたいと思っている。
そして、どんなときも、嘘偽りのない自分でいたいと願っている。
この世界に広がる、お金に対する誤った認識が、いつか誠実なものへと変わっていくことを、私は心から祈っている。
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✿お金より価値観を大切にしたい人へ。
この記事は、「ものづくりで生きるということ」というカテゴリの中の一編です。
これまでの経験から生まれた学びや気づき、そして悩んだときにどう向き合うか──
考え方や心の在り方について綴っています。
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▶ ものづくりで生きるということ