
少し前の私と今の私は、まるで別人のようだ。
肩の力が抜けて、ようやく自然体でいられるようになったからかもしれない。
頑張ることが当たり前だった私が、やっと“無理をしない自分”に戻れた。
今回は、過去を振り返りながら「ものづくりで生きる」とはどういうことか、改めて書いてみたい。
頑張りすぎていた頃の自分
革花を作り始めてから2025年前半までの私は、常に自分を追い込んでいた。
当時は「ハンドメイド=趣味の延長」と見られることが多く、仲間の中にも家族からそう言われて肩身の狭い思いをしている人が少なくなかった。
だからこそ、私は「革花をちゃんと仕事にしよう」と決意した。
誰よりも努力し、しっかり稼げるようになって「趣味じゃない」と証明したかった。
夫は反対せず「やってみたら?」と背中を押してくれたが、私はその期待に応えようと日々努力を重ねていた。
成果を出さなきゃと焦っていた日々
最初はただ革で花を作ってみたいという純粋な気持ちから始まり、形にすることが楽しくて仕方なかった。
やればやるほど上達し、物珍しさからお客様も興味を持ってくれた。
しかし時間が経つにつれ、それが収入のためという名目になっていくと、純粋な思いが少しずつ違う方向へ向かっていった。
「作りたいから作る」ことと「収入のために作る」ことは、まったく別のものだった。
根底にあった「作るのが楽しい」という思いが「どうすれば稼げるか」という考えに変わると、楽しさ以前にマーケティングばかりが頭を占めるようになり、やがて楽しさが薄れてしまった。
毎日数字とにらみ合い、商品として「何がいけなかったのか」と考えることが頭から離れなくなった。
気づけば私は、作品ではなく“商品”を作るようになっていた。
無理な行動の先に待っていたもの
純粋な思いが少しずつ自分らしさを失い、作りたいものから売れるものを作ろうと、日々
「頑張れ!もっとやれるはず!もっと上を目指せ!」
と自分に鞭を打ち、行動!行動!行動!!!と、言い聞かせていた。
当然、そんな毎日が楽しいはずもなく、常に仕事のことで頭がいっぱいになった。
半年に一度は、何もできなくなる時期が訪れるようになった。
当時の私は、自分に無理をさせ、本来やりたかったこととは違う方向へ無理やり追い込んでいたことに、まったく気づいていなかった。
しかも、誰よりも努力して結果も出していたのに、いつもどこか自信がなかった。
作品を購入した人から来るクレームや交換依頼のメッセージに、とにかくビクビクしていた。
納得できない交換依頼に応え、作風として作ったものを「イメージが違う」と言われても「申し訳ございません」と謝ってしまう。
心は、もうボロボロだった。
どれだけやっても足りない。
「周りの人は、私以上に頑張っているから結果を出しているんだ」と自分に言い聞かせていたけれど、心の奥では
「どうして、こんなに頑張ってるのに…」
と悲しくて、悔しくて、どこにも持って行きようのない思いでいっぱいだった。
この頃には、革花を作り始めたころの純粋な喜びや楽しさは、すっかり消えていた。

作家活動がつらくなったときに気づいたこと
そんな状態が、もう何年も続いたこともあり、2025年7月末に作品販売を辞めることにした。
もちろん、急に辞められたわけではない。
気づけば8年ももがき続けていたし、長く「結果を出さなきゃ」と自分を追い込んできたから、そのマインドコントロールから抜け出すのにはかなり時間がかかった。
本当は5月に辞めようと思っていたのに、収入がなくなる恐怖から、辞める決意とは裏腹にブランドボックスを200箱も注文してしまった。
「手を動かしていないと気が済まない」という行動のクセや、「売上を作らなきゃ」と考えるクセが、ずっと付きまとっていた。
何もしていないのが怖い。どうしようもなく怖い。
収入がなくなったら夫を失望させてしまうかもしれない。
応援してくれた家族に申し訳ない。
販売を辞めたらお客さまが「勝手な人だ」と思うかもしれない。
誰からも、もう求められなくなったら、私はどうしたらいい?
そんな恐怖で頭がいっぱいになり、
「どうしよう、どうしよう…」と考え込む毎日だった。
けれど、どれだけ考えても体は動かなくなっていた。
「行動しなきゃ」と自分に言い聞かせても、体と心がまるで別物のようで、もう頑張れなくなっていた。
その時、ようやく気づいた。
――私は、ずっと無理をしていたのだ、と。
自分を認められるようになったきっかけ
それから、本当にふとした思いから、この「世界一くわしい革花の専門書」を作ろうと考えた。
これが私にとって、人生を変える行動となった。
「これまで作ってきた革花の技術を、伝えてみようかな」
「革花を作りたいと思った時のことから、自分史を書いてみようかな」
「どんなものを作ったのか、記録に残そうかな」
「ものづくりで生きるって、こんなことだと伝えてみようかな」
全部が、何も考えずに、ただ“やってみようかな”という軽い気持ちから始まったことだった。
けれど、気づけばそれは、積み重ねた日々が棚いっぱいに並ぶような場所になっていた。
革花の世界をゼロから作ったこと。
積み重ねてきた努力の証として、作品が残っていること。
販売を通して、自分の内面と向き合う必要があったこと。
どうやって乗り越えてきたのか。
ひとつひとつを書き出していくうちに、私の人生は想像していた以上に深く、小さな出来事が折り重なって人として成長してきたのだと感じた。
そう思うと、過去の出来事すべてが腑に落ちて、これまでの自分の努力をようやく認められるようになってきた。
私は、自信がなかったんじゃない。
――自分で自分を認めてあげられていなかったのだ。
そう気づいたとき、何年も胸につかえていたものが、すっと消えた気がした。

無理を手放して、自分のペースで進む力を取り戻す
自分のことを認められていなかった過去の私は、何をやるにも「努力と行動がすべて」だと信じていた。
たしかに、ひとつのことを成し遂げたいと思うなら、努力も行動も必要だ。
それが自分の成長につながれば、自然とまたやろうと体が動く。
けれど――。
もしその努力が、違う方向に向かっていたとしたら?
私が経験してきたことが、それを物語っていると思う。
本当にやりたいことが、いつの間にか「収入のため」に変わってしまった時、それは、「やりたいからやる」ではなく、「やらなきゃいけないからやる」という思考にすり替わってしまう。
私は、それに気づいてから「頑張る」ことをやめた。
やっていて苦しいこと、つらいことはやめた。
やろうと思わなくても、ついやってしまうことだけを続けた。
そして、それを淡々と続けた結果――
この「世界一くわしい革花の専門書」が、少しずつ形になり始めたのだ。
「やりたいこと」の本当の意味
「世界一くわしい革花の専門書なんて作って、何になるんだろう?」と、ふと思ったこともあった。けれど、理由なんてない。ただ、やりたいからやっているだけだ。
販売をして苦しくなった時のように、「誰かのために!」と肩に力を入れてやっていることではなく、ただ革花の世界を伝えたいから、一方的に伝えているという感覚に近い。
誰かが「革で花を作ってみたい」と思った時に、「あ、ここに革で花を作っている人がいる」と気づいてくれたら、それでいい。
そして、「こんなこともできるんだ!」「楽しそう!やってみたい!」と思ってもらえたら、それだけで嬉しい。
もっと上手になりたいと思った時、「こんな方法があるのか」と知るきっかけになれたらいいなと思う。
私と同じように革花を販売してみたいと思った人がいた時、どんなことがあったのか、どんな気持ちになったのかを知っていれば、自分を追い込みすぎてしまう人が少しでも減るかもしれない。
そんな風に、誰かの人生の中で、そっとヒントになるような存在でいられたらいいなぁ…と、ひとりでほっこりしているのが、今の私なのだ。
やりたいことを続けるために
やりたいことが見つかった時、つい没頭してしまうのはいいとしても、無理をしてしまうのは良くない。
一番良くないのは、本来の思いとは別の方向へ向かってしまうこと。そして、努力の仕方を間違えてしまうことだ。
やってみたいことを、大好きなまま、ずっと続けていきたいと思うなら、やはり「楽しい」が一番の原動力になる。
「やらなきゃ」という濁った思いは、「やってみたい」という純度の高い透明な思いには決して勝てない。
だからこそ、義務感で自分を縛りつけないでほしい。
あなたの「やりたい」という気持ちは、この世界のどこにもない、磨けば光る宝石のようなものなのだから。