世界一くわしい革花の専門書

革花(かわはな・レザーフラワー)の作り方や染色・成形などの技術記録とあわせて、革花作家としてものづくりを続ける中で、生きづらさから少しずつ抜けていった心の変化や考え方を綴っています。心を整える視点や日々の気づきを、暮らしと制作の記録としてまとめたブログです。

このブログは、革花作家としてものづくりを続ける中で磨いてきた革花の技術とともに、 何か物事を成し遂げるには「心の在り方」が何より大切だという気づきを綴っています。

※「世界一くわしい」とは、一人の作家が歩んできた過程と気づきを、 技術と心の両面から、できる限り丁寧に残しているという意味で使っています。

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『ありのままの私で生きる』って、こういうことだと思う

しばらくの間、ブログから離れて、日々やりたいことをしながら過ごしてた。

ブログから離れたかったのは、以前の自分が、そこにありありと文字として残っていて、振り返ると胸が痛かったし、苦しかった頃を思い出すから。

だけど、過去のブログを読んでみると、なんだか違和感があった。

言葉の端々に格好つけた自分がいるし、「心からそう思って書いたのか」と思うような文章もところどころあったりして、心がざわついた。

ブログを書く中で、過去の自分を振り返り、嫌というほど向き合った。

苦しくて、胸が痛くて、時には泣きながら過去の自分を客観視することもあったほど、私にとってこのブログは、人生そのものだと思う。

 

けれど、ある時を境に、書くことがなくなってしまった。

というより「書かなきゃ」と思わなくなったという方が近いかもしれない。

正直なところ、以前は、アクセス数を気にしていたし、読んでもらえる記事を書かなきゃと、どこかに邪な気持ちがあった。

それが、ある時から急に熱が冷めたように、興味がなくなってしまった。

自分が書きたいこと、伝えたいことを、もう十分伝えきったからなのか。それとも、書きたくないから書かなくなったのか、そのときは分からなかった。

 

これまでの人生、ずっと誰かのために頑張ったり、周りを気にしたりしていたけれど、もう疲れた。

自分が何のために生きているのかさえ分からなくなるほど、必死になりすぎて、「どう生きるのが正解なのか」という答えのない問題を一生懸命解くために努力していたような気がする。

気づけば40代半ばになり、私は路頭に迷っていたのだと思う。

何かを必死にやれば答えが見つかるかもしれない。

何かを極めれば、それがきっと人生の糧になるだろう。

何かが私の人生を豊かにしてくれるかもしれない。

そのすべてが「かもしれない」という淡い期待の中にあったことに気づかないまま、ただ闇雲に頑張っていた。

 

ふと振り返れば、自分自身が本当に求めていたものは遠ざかり、手にしているのは何者でもない「私」という存在だけ。

たとえ過去に何をしていようとも、どんなものを持っていたとしても、自分に残るのは「経験」の二文字しかないということ。

もちろん過去の努力が無駄なんてことはない。

一生懸命向き合うことだって、人生において、とても素晴らしいことだと思う。

けれど一方で、学歴、資格、仕事、結婚、子ども…と、何かに縋りつく必要はなかったのかもしれないとも思う。

 

自分がそのとき頑張りたいこと、心のままにやりたいことを、夢中になってやれたら、それでいい。

それなのに、いつの間にか周りと競争することばかりに目を向けて、比べて、憧れて、劣等感を感じて、どんどん自分を追い込んでしまう。

周りがそうだから、「そうあることが正解」かのように感じてしまうけれど、本当はそうじゃないよな、と。

 

みんなが同じようにできるのが当たり前。

周りより優れていなければ存在価値がない。

そんなふうに思ってしまっていたのは、結局自分自身だったということに、今更ながら気づいて、「今まで私は何をしていたんだろう?」と急に虚しくなってしまった。

誰かと比べなくても、私が私であることそのものに価値があるのに、誰かみたいにならなきゃいけないと無意識に思い込んでいた。

「そうあるべき」だと、自分に言い聞かせていた。

それが、自分の首を絞めていたことにも気づかずに。

 

私は私のままでいいんだと思えるようになってから、過去を振り返ると「こうでなければ」という基準の中で生きていたことが分かる。

キレイでいたい。

いい人、いい奥さん、いいお母さんでいたい。

ちゃんとした人でいたい。

人に誇れる仕事がしたい。

 

表向きには、聞こえはいい言葉でも、裏を返せば

見た目が良くないと人から比べられるから。

責任ある人だと思われていなければ、周りにどう思われるか分からないから。

稼げないと仕事している意味がないから。

そんな思いがどこかにあって、いつも人目を気にして怖がっていた。

 

それに気づいてから、私は、しばらく考え込んでいた。

本当の自分って何なのか、と。

今までずっと周りに合わせて生きてきたから、本当の自分がどれなのか、どこにいるのかが分からなくて。

どうしたら自分でいられるんだろう?と思ったけれど、すぐには見つからなかった。

たぶん、自分を抑えたり、押し殺したりして、我慢ばかりしてきたから、自分の気持ちはいつも後回しだったんだろうと思う。

それが当たり前になるくらいに。

 

だから、私は、私を生きることにした。

今まで我慢していたことをやめた。

嫌だなと思っていたことを素直に認め、言葉にしてみることにした。

格好つけずにバカなことでも口にしてみることにした。

周りの顔色を気にせず、感じたことを「私はこう思う」と伝えてみることにした。

 

最初はもちろん怖かった。

いつも格好つけていた私が、本当の姿を見せるのは、当然抵抗があった。

これが好き、これが嫌、苦手、こうしたい、という自分自身の中にあるものを表に出すことだから。

やっぱり「どう思われるだろう?」という怖さがあった。

でも、私は、「ありのままの私で生きたい」から、もう元には戻りたくない。

ほんの小さな一歩から始めることにした。

 

まずは夫に、悩んでいることを素直に打ち明けた。

それから、家族に対して、協力してほしいことは言葉にして伝えた。

家族以外の人に対して、心を閉ざさずに、少しずつでいいから心を開いてみようと決めた。

今まで、自分の思いを伝えるとき、世間で「こうあるべき」だとされていることを基準にしていたけれど、それもやめた。

全部が自分基準。

全部、自分の心がどう感じるかを大切にした。

 

何かを伝えるとき、話すのが苦手だからと言葉を選んでいたけれど、それもやめた。

上手に伝えることより、素直な気持ちを伝える方がずっといいと思ったから。

 

それを、毎日、毎日、少しずつやっていくと、周りが変化していった。

自分の思いは誰も分かってくれないと思っていたけれど、想像していた以上に理解してくれていること。

自分が先に壁を作っていたから、周りが寄り添うことができなかったこと。思いを伝えることそのものが人との距離をぐっと縮めてくれることも分かった。

 

自分の気持ちを一番大切にして、モヤモヤしたときの思いをそのままにせず、「何に対してモヤモヤしたのか」理解しようとすること。

自分の心を後回しにせず、自分の思いを大切にし、尊重すること。

言葉でいうのは簡単だけど、実際そうなったとき、自分を優先するのは案外難しかった。

いつもの癖で「私は後でいいよ」と無意識に言ってしまうことも多かったし、「何でもいい」と、自分の心と向き合うことさえしていなかったことにも気づいた。

 

時間をかけて、少しずつ、少しずつ、頭で考えるのをやめ、自分の心に正直に生きていくと「そうじゃない」「私は、こうしたい」と、心の中の自分がちゃんと声を出してくれるようになってきた。

今まで、自分の心の中の声を無視して生きていたから苦しかったし、何をしてもどこか満たされていない気持ちになっていたんだと、身をもって感じた。

心の声が聞こえたとき、その声の方を選ぶだけで「自分は認められている」と感じられることも。

「考えるな。感じろ。」という言葉があるけれど、まさしくそういうこと。

 

これまでの私は、表向きの私を演じていただけだった。

だから、ここからの人生は、ありのままの私で生きていきたい。

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