世界一くわしい革花の専門書

革花(かわはな・レザーフラワー)の作り方や染色・成形などの技術記録とあわせて、革花作家としてものづくりを続ける中で、生きづらさから少しずつ抜けていった心の変化や考え方を綴っています。心を整える視点や日々の気づきを、暮らしと制作の記録としてまとめたブログです。

このブログは、革花作家としてものづくりを続ける中で、私自身が生きづらさから少しずつ抜けていった 心の変化や気づきを記録しています。 革花の技術の話も心の話も、どちらも「生きること」の一部として綴っています。

※「世界一くわしい」とは、一人の作家が歩んできた過程と気づきを、 技術と心の両面から、できる限り丁寧に残しているという意味で使っています。

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生きづらさとは何か|どこにいても自分らしく生きられなかった私の実体験

霧の中に立つ1本の木

 

ここ数年で、「生きづらい」という言葉を、よく耳にするようになりました。
あなたは、この言葉をどんなふうに感じているでしょうか。

周りで言われている生きづらさって、どんなものなのか調べてみると、私が思うものとは少し認識が違っているようです。

今回は、心理学で言われるような「生きづらさ」ではなく、私と同じ感覚を持っている人に向けて書いてみようと思います。

私にとっての「生きづらさ」とは

私が思う「生きづらさ」とは、

「どこにいても自分らしく生きられない感覚」のことだと思っています。

これは、環境を変えたとしても、役割が変わったとしても、なかなか消えることがありませんでした。

心理学の中では、生きづらさは人によってさまざまだと言われています。(日常生活で感じる漠然としたつらさや生きにくさのことを指すようです。)

孤独感や、無力感なども、それに当てはまるようですが、心の内側を言語化するには難しい感情もたくさんあるので、「これとこれが生きづらさです」とは簡単に言い切れない部分があるのかなと思います。

生きづらさを強く感じていた時の私

私は、「生きづらさ」という言葉を知らなかった幼いころから、この世界にどこか息苦しさを感じていました。

一番はじめに、その息苦しさをはっきり感じたのは、学校に通い始めてからだったと思います。

学校では、みんなと同じことをするのが当たり前という共通認識の中で、決められた型にはまった生活を送ることが当然のように求められていました。

もちろん、小学生だった私は、それに疑問をぶつけたり、反抗したりすることはありませんでした。
けれど心の中では、「どうして、何でもみんなと同じじゃないといけないんだろう?」という思いが、何かあるたびに浮かんでいました。

特に強く生きづらさを感じたのは、学校生活の中で、いわゆる「同調圧力」によって、自分の気持ちを抑え込まなければならなくなったときです。

学生は、こうあるべき。

こうでなければならない。

そんな考え方や校則に縛られた日々は、“私”という人間の個性に、少しずつフタをしていきました。

ちゃんとしているつもりなのに、とても息が詰まる。
がんばればがんばるほど、なぜか苦しくなっていく。
子どもながらに、私は多くのストレスを抱えていました。

そんな学生生活を送るうちに、私は何をするにも我慢することを覚え、自分を表に出さないようになっていきました。

意見を言っても、バカにされたり、受け入れてもらえなかったりする。
そう思うと、自分の正直な気持ちは誰にも言えず、ただ黙って耐えることばかりが増えていきました。

責められたときも、「私が悪いから」と、心ではそう思っていなくても、早くその場を終わらせたい一心で、思ってもいない言葉を口にする。
そんなクセまで、いつの間にか身についていました。

これらが長い時間をかけて積み重なり、やがて大きな塊になっていったのだと思います。

私がはっきりと「生きづらさ」を実感したのは、それから何年も経ってからのことでした。

大人になっても、その息苦しさを抱えたまま生き続け、気づいたときには、どれが本当の自分なのかさえ分からなくなっていました。

生きづらさから抜けるために、最初にやったこと

大人になってから「生きづらい」と感じるようになっても、実は私は、その原因が何なのかまったく分かりませんでした。

長いあいだ本当の自分にフタをして生きてきたことで、
「自分は本当はどうしたいのか」
その問いに、いくら考えても答えが出てこなかったのです。

振り返ると、子どものころから、半ば諦めたような状態で生きていたのだと思います。

私が「もう、がんばれない」と思うほど強い生きづらさを感じたのは、そんな生き方を何年も続けた先でのことでした。

ずっといろいろなことを我慢し、世間で言われる「成功」を追い求め、完璧にやろうとして、毎日仕事に明け暮れていたころです。

自分が「こうしたいからやる」というよりも、周りに合わせたらこうなる、正解はこれだろう、そんな基準を優先しすぎて、自分の気持ちはすべて後回しにしていました。

その結果、仕事をしたくてもできないほど、心が疲れきってしまい、ようやく私は、「これはおかしい」と気づいたのです。

そこから私は、何か月もかけて、自分の内側、つまり心と真剣に向き合うことにしました。

今、私はどんな気持ちでいるのか。
どうして、そんな気持ちになるのか。
本当は、どうしたいのか。

ノートに本当の気持ちを書き出していく中で、私は、自分に対してとても厳しい言葉を投げかけ続けてきたことに気づきました。

まるで自分にムチを打つように、責め続けていたのです。

そのことに気づいたとき、私は心の中で、自分自身に
「ずっといじめてきて、ごめんね」
と、深く謝りました。

自分がどう思っているのかさえ分からないほど抑え込んできたので、本心にたどり着くまでには、かなり時間がかかりました。

それでも、少しずつ自分と向き合っていくうちに、自分の本当の気持ちが、少しずつ分かるようになっていったのです。

そして、どんな自分でいてもいい。
無理をしなくてもいい。
そう、心から思えるようになりました。

それからです。

生きづらさが、ほんの少しずつ、軽くなっていったのは。

まとめ

生きづらさは、簡単に言語化できるものではないし、とても複雑にいろいろと絡み合って感じるものです。

ただ、自分自身と真剣に向き合い、「本当はどう感じているのか」を知り、誰よりも自分を理解してあげることが大切なのだと思います。

生きていれば、苦しくなることは、誰しも少なからずあります。

そして、生きづらさは、その中の、ほんの一部でしかありません。

それでも、そこから目をそらさずに、自分の気持ちを見つめていくことで、少しずつでも、生きる感覚が変わっていくことがあるのだと、私は感じています。

これからは、この生きづらさを感じていた具体的な場面や、そこから気づいたことを、少しずつ書いていこうと思います。

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…coming soon…

生きづらさを感じながら過ごした日々について、他にも書いている記事もあります。よければ、私の経験の続きを見てみてください。

→ただ、生きるということまとめ

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