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経験でしか得られない力|「すぐ答えを求める時代」への違和感と、私が選んだ道

革で作られた紫陽花のブローチ。

いつからだろう。
失敗しない方法、早く結果を出す方法、無駄な時間を使わない方法――
そんな情報ばかりが当たり前のように並ぶようになったのは。

今や、何をするにも「近道」や「正解」、そして「効率の良さ」が求められる時代。
だけど私は、そんな空気にずっと違和感を抱いていた。

なぜなら、私はいつも時間がかかって、不器用で、遠回りばかりしてきたから。
それでも、「ちゃんと地に足をつけて生きてきた」と胸を張って言える。

なぜなら――
“経験でしか得られない、大切なもの”が確かにあったからだ。

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「早く成功する方法」があふれる時代と、その違和感の正体

今の時代――と言うと少し古くさく聞こえるかもしれないけれど、
「タイパ」や「コスパ」といった言葉が当たり前に飛び交うようになった今、何をするにも“無駄を省くこと”が美徳とされるようになった気がする。

失敗しない方法、遠回りしない方法、できるだけ早く結果を出す方法。
そんな「効率のよさ」ばかりが重視されて、まるで正しさの象徴のように扱われている。

でも私は、そこに強い違和感を抱いていた。

それに気づいたのは、ハンドメイドを始めて数年が経った頃。


2017年、レザークラフトや革花を作り始めたばかりの私は、とにかく手を動かす毎日だった。

当時のインターネットには「こうやったらうまくいったよ」という体験談やヒントが多く、具体的な“答え”よりも、自分で考える余白がたくさんあった。
その環境が、私にはとても心地よかった。

変化が訪れたのは、それから2〜3年後。
コロナ禍で人との接触が制限され、世の中の不安が一気に加速したときだった。

「これからは、自分の力で稼がないと生きていけない」
そんな言葉がネットに溢れ、不安を煽るような情報が拡散された。

そして、「早く稼ぐための方法」や「成功のテンプレート」が、まるで“正解”かのように売られるようになった。

私の目には、それがとても薄っぺらく映った。

そこには、「誰に届けたいのか」「どんな想いを込めているのか」そんな一番大事なことが、何も書かれていなかったから。

私がものづくりをしてきた3年間には、そんな表面的な“答え”では到底たどり着けない、手探りで積み重ねてきた経験と感情があった。

それを見て見ぬふりをして、「これが正解です」と言われることに、強い違和感を感じずにはいられなかった。

不器用でも、遠回りでも。「経験」が人を育ててくれる

私の革花人生は、失敗や悔しさの連続だった。

作品を見て、「これなら作れそうじゃない?」と言われて悔しかったこと。
頑張って作ったものを、ポイっとガラクタのように扱われて傷ついたこと。
画像の色と違うから作り直してほしいと言われて、悲しくなったこと。

革花を作り始めてから、たくさんの経験をしてきた。
他の仕事では得られなかったであろう感情に触れ、自分の中に情熱があることを初めて知った。

必死にやっても、なかなかうまくいかないことだってあった。
でも、だからこそ、うまくいったときの喜びは、言葉にならないほど大きかった。

自分の力で考え、手を動かし、誰かの手元に届くまでのすべての過程が、私にとってかけがえのない経験になった。
それが、私という人間の土台を、少しずつ育ててくれたのだと思う。

そして、何より大きかったのは――
「やればできる」という確かな感覚を、自分の手でつかみ取れたことだった。

もし、経験の中に嫌なことしかなかったとしたら、きっと私は続けていなかった。
ほんのわずかでも、「できた」と思える瞬間があったから、進んでこれた。
その小さな「できた」の積み重ねが、やがて「自分を信じる力」へと変わっていったのだと思う。

 

「答え」を求める時代にこそ、経験の価値を見直してほしい理由

もしかしたら、私が作っていたものが革花ではなく、もっと一般的で情報が出回っているものだったなら、きっと私も“答え”を探して必死になっていたと思う。
誰だって、早く結果を出したい。上手くなりたい。評価されたい。そう思うのは自然なことだ。

もちろん、結果が出ないと苦しくなる。私自身も、何度もその感情を味わってきた。
だが、ここであえて問いかけたい。
「早く結果を出すことだけが、本当に価値のあることなのだろうか?」

私は、革花というニッチな世界を選んだからこそ、時間もかかったし、遠回りもした。

それでも続けてこられたのは、結果だけでは得られない何かが、そこにあったからだ。
それが、私にとっての「経験」だった。

やりたいと思ったことに“正解”がなかったからこそ、私は何度も作って、試して、失敗して、自分で「答え」を見つけていった。
どうすればもっと美しくできるのか。
この革は、どう染めたらこの花に合うのか。
なぜ、この手順を踏む必要があるのか。
そう問い続けながら、ひとつひとつ、自分で確かめていったのだ。

この流れの中に、“正解”は存在しなかった。
正解がないからこそ、自分の力で考え、工夫して、生み出す力が育った。
そして、その積み重ねが、今の私という土台を作ってくれたのは言うまでもない。

もし、すべての手順を最初から教えてもらっていたらどうだっただろう。
たとえば「ここはこの道具を使うと早い」「この染め方が正しい」といった情報をなぞるだけだったなら、私は「なぜそうするのか」という理由まで理解することはできなかったと思う。

私は、結果を出すことそのものが悪いとは思っていない。
だが、「深さ」をもって語れるようになるには、やはり経験の時間が必要だ。
そして、その“深さ”こそが、壁にぶつかったときに自分を支えてくれる、唯一無二の力になると感じている。

続けていくと、必ずどこかで行き詰まる瞬間がやってくる。
そのとき、「どれだけ速く結果を出したか」ではなく、「どれだけ深く経験してきたか」が、あなたを救ってくれる。

だから私は今、心から伝えたい。
遠回りでも、経験することに意味がある。
それは、誰のものでもない「あなた自身の力」になるからだ。

経験こそが、人生を豊かにするということ

あっという間に結果を出すのも、悪いことではない。
むしろ、それで自信がついたり、次のステップに進めたりするのなら、それもひとつの価値ある選択肢だ。

だが、人生という長い時間軸で見たとき、早さだけを追いかける生き方には、どこかで限界がくる。
経験が浅いまま進めば、土台が脆くなり、いずれ迷いや不安にぶつかってしまう。
人は、失敗したとき、悩んだとき、立ち止まったときこそ、自分の中にある「経験」という資源に救われるのだ。

失敗したくない。傷つきたくない。遠回りしたくない。
そう思うのは自然なことだ。私もそうだった。
でも、それでもなお、自分の中にある「やってみたい」「知りたい」「どうなっているんだろう?」という気持ちに従って進んでいくと、必ず“何か”が見えてくる。

それは、誰かが用意した答えではなく、あなただけがたどり着ける、自分だけの“発見”だ。
その発見こそが、人生を自分のものにしていく感覚を与えてくれる。
「私は、これを経験した」と胸を張って言えることが、自分自身を肯定する力になる。

自分の人生を、自分の足で歩いていると感じられること。
これ以上に誇らしく、心が満たされることが、他にあるだろうか。

誰かに教えてもらった道をただ歩くよりも、自分の足で切り拓いた道の方が、何倍も大変だ。
けれど、だからこそ、その道は、誰にも真似できない特別な道になる。

私は、今この瞬間も、そんな道を歩いている。
だからこそ、心から伝えたい。
経験でしか得られないものは、人生の輝きを生む。
それは、あなたがこれから歩いていく人生のなかで、かけがえのない宝物になってくれるはずだ。

この記事は、「ものづくりで生きるということ」というカテゴリの中の一編です。
ものづくりを通して見えてきた、心の揺れや気づき、人生と向き合う日々を、そっと綴っています。
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