秋の散歩道に誘われて
普段は青々とした緑が立ち並ぶ並木道。夏の日差しを反射する葉たちは、いつもどおりの姿で揺れていたはずなのに、ある日、ふとした瞬間に変化を見せる。急な寒さに押されるように、葉たちは少しずつ色づいていく。黄色に変わり、オレンジに深まり、やがて赤く染まり切った瞬間、風に誘われて地上に舞い降りる。
足元から響くパリパリという乾いた音。ひとつ、またひとつと踏みしめていくたびに、季節が確かに変わっていくのを感じる。上を見上げれば、まだ夏の名残を思わせる緑と、秋の深まりを告げる黄金色の葉が混じり合う。頭上にも足元にも広がる秋の風景。それは、命が終わる瞬間さえも美しいと教えてくれるようだった。
秋の記憶を手のひらに
作品を作るとき、私はいつも心の中に浮かぶ風景を形にしている。今回の葉っぱや紫陽花も、その記憶の一部だ。革という素材を通して、あの時見た景色、あの瞬間の感覚を誰かに伝えたいという気持ちが形になった。
この秋の散歩道で見た景色を思い出しながら、手を動かしていた。命を終えた紫陽花の花弁。その茶色に染まった色合いは、どこか懐かしく、心に静かな音を響かせるようだ。もみじの赤は、燃えるような情熱と、どこか切ない終わりの予感を感じさせる。
外に出られない誰かが、この作品や写真を見て、少しでも散歩道の匂いや音を感じ取ってくれたら。それだけで、この作品たちは十分に役目を果たすのかもしれない。
心の庭に浮かぶ風景
秋には、なぜか心がふわりと揺れる。懐かしさ、切なさ、そして優しさ。それは私の心の中にある庭。あの散歩道で拾った葉たちや、見上げた紅葉の木々が、そのまま心に染み込んでいる気がする。
この作品たちは、そんな『心の庭』を切り取ったもの。見てくれる人それぞれが、自分の中にある小さな庭を思い出すような、そんな瞬間を届けられたらいいなと思う。命を終えた葉たちの語りかける声に耳を澄ませる。それは、自然だけでなく、自分自身の心に響いてくる言葉なのかもしれない。